②会食恐怖症になったきっかけ
みなさんこんばんは。
今回の記事では私が会食恐怖症になってしまったきっかけについて綴っていこうと思います。
正直な話、気づいたら会食恐怖症になっていたという感じなので、明確な理由はこれだ!と分かっているわけではありませんが、今考えるとこれが原因だったのかなという事柄について話していきたいと思います。
(思い当たる節が多く結構な長文になってしまいました...)
ちなみに私に会食恐怖症と思われる症状が出始めたのは、小学生の頃だったと記憶しています。もちろんこの時は会食恐怖症なんて言葉は知りませんでしたが、自分は人と違うなおかしいなという感覚はありました。
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事柄① 給食(小学生時代)
私は元々少食で好き嫌いが多い子供で、給食独特の味付けや匂いもとても苦手でした。
(給食のおばちゃん達本当にごめんなさい涙)
当時は残さず食べろという教育で、事前に量を減らすには先生の許可が必要でした。
(減らすのさえ許可制とかスパルタ)
私は、なかなか自己主張ができない内気な性格だったこともあり、減らしたいと伝えることはとても難しいことでした。
減らすこともできず無理して食べようとするのですが、結局残してしまい、残すならなぜ最初から減らさないの!?と詰められることもよくありました...
(そんなに厳しくする必要があったのだろうかと甚だ疑問)
最悪だったのは、残飯0週間です。この期間は隣のクラスと競ったりして、大盛り上がり。残す人は戦犯のような扱いを受けるのです。
こうして、「残す=悪いこと」という考えが必要以上に植え付けられてしまいました。
(当然世界中を見渡してみれば、食べ物を残してはいけないということは理解できます。ただ、無理してまで?というところが未だに納得いかないですね...)
これが、人とご飯を食べる時に残してはいけないという考えに囚われ、考えれば考えるほどより食べられなくなってしまうという状態に陥ったきっかけの1つです。
事象②給食(中学生時代)
中学時代もやはり給食に苦しめられました。
世の中にはストレスで暴飲暴食してしまうタイプと逆に食欲不振になってしまうタイプの人がいると思いますが、私は後者の方でした。
勉強や部活、人間関係などで精神的に追い詰められると食べ物が喉を通らなくなってしまうことが幼い時からありました。
(週5ペースで習い事をしてたので、ストレスの要因となることも多かったのかと...)
そんな中、中学生3年生となり高校受験に向けた受験期に突入しました。受験のプレッシャーから私は食欲不振になってしまいました。
お米を一粒ずつ食べるのもやっと、ひどい時には1日のうちにオレンジを一欠片しか食べれなくなってしまうほどでした。
(モデル並の食生活...)
当然給食も喉を通らない日が続きましたが、ここで不幸だったのが担任の先生です。
減らしたり残したりすることを許さないタイプではありませんでしたが、とにかく嫌味がひどかったのです。
記憶が曖昧でどんなことを言われたのか具体的にはは覚えてないですが、そんなに減らして〜とか、なんでそんなに食べないの?といったことを減らすたびに言われたと記憶しています。
嫌味を言われるたびに、受験のプレッシャーで精神的に追い詰められて食べ物が食べられないんですと本当のことを言いたかったのですが、それができませんでした。
先生だけじゃなく友達にも言えませんでした。友達からなんで食べないの?と聞かれることもとても辛かったです。
(友達に悪気がないことは分かっています。)
(先生は正直悪意があったと思います。)
なぜ周りに正直に話せなかったのか。
それは、食べ物が食べられないなんて馬鹿にされるかもしれない、恥ずかしいことだ、自分はおかしいんだ、軽蔑されるかもしれない、理解されない、変な噂になるかもしれない、などと思っていたからです。
(嫌味を言う先生にはそもそも相談したくないですしね...)
毎日本当のことを言えずに耐えていました。
それにご飯が食べられないというのは本当に本当に怖かったです。ご飯を食べるというのは呼吸をするくらい人間にとって当たり前で大事な行為です。
このままずっと食べれなかったらどうしよう。
どんどん痩せていってしまうのではないか。
死んでしまうのではないか。
毎日そんな恐怖とも戦っていました。
そんな日々を過ごしているうちに、小学生の時に植え付けられた「残す=悪いこと」という考えがより一層強まってしまいました。
また、「食べられないことへの恐怖心」までもが植え付けられてしまい、食事のたびにまた食べれなくなったらどうしようという不安が付き纏うようになってしまいました。
これが、2つ目のきっかけです。
(ちなみに第一志望の高校には受かりました。メンタルは弱いけど、忍耐力はある模様)
事象③母親
先ほども書いた様に、私はストレスが食欲に表れるタイプで、食欲不振になってしまうことが幼い時からよくありました。
そんな時母親は、無理して食べなくてもいいからね、と優しく見守るタイプではありませんでした。
気にしすぎだよ、全然食べないじゃない、食べないとお腹空くよ、などといろんな言葉を言われたように思います。
恐らく母親自身も過度な心配から、なんとかしなきゃ、ご飯を食べさせないと、とパニックになってしまっていたのかもしれません。
子供は母親に頼り、安心を求めるものです。母親の不安は子供に伝染します。母親が冷静さを失うと子供はこれはやばいんだ、自分はおかしいんだ、自分は悪いんだと余計不安になってしまいます。
こういった経験もあり、「母親に心配をかけてはいけない」と強く思うようになりました。
そして、食べれないと心配をかけてしまうという考えがまた私のプレッシャーとなってしまったのです。
食べれないと心配をかけてしまう、と考えれば考えるほど余計に食べれなくなってしまう、そして食べないとまた心配をかけてしまう、という負のループに陥ってしまいました。
その他にも母親という存在はどこの家庭でもそうなのかもしれませんが、子供に沢山食べさせたいという圧がすごいのです。
あれ食べた?これ食べた?とひっきりなしに聞いてきますし、手をつけてない料理があると、食べてみてと前のめりに言われます。残した時には残念な雰囲気を出されてしまいます。
こういった日常の何気ないやりとりにも次第に私はプレッシャーを感じるようになりました。
こうして、誰かと食事をする時に必要以上に相手の目を気にし過ぎるようになってしまったのかなと思います。
この母親とのやりとりがきっかけの3つ目です。
事象④部活での指導(高校時代)
私は小学生の時からバスケをやっていました。最初はガードから始まり、中学高校とどんどん身長が伸びていき、最終的にはセンターのポジションになりました。
当時の顧問はセンターに力を入れており、センターはパワーこそが重要と考える人でした。
私は身長こそ高かったものの会食恐怖症の人に多いと言われる細身のタイプで、パワーに欠けていました。
(いわゆるひょろながです。笑)
そこで顧問から筋トレをしっかりやり、練習後にはプロテインを飲む様にと顧問のポケットマネーで買い与えられていました。
(ポケットマネーで買うなんて情熱すごいよね)
(その情熱がまたプレッシャーになるんだよね)
また、当時県内ベスト4でフィジカルに力を入れているチームがありました。とにかくご飯を沢山食べパワーをつけさせるという方針で、食い合宿というものをやっているくらいでした。
(年頃の女の子になんてことを...涙)
最悪なことに顧問はそのチームに感化されてしまったのです。
それからというものご飯を沢山食べろと毎日のように言われました。昨日は何杯食べたのかと聞かれ、正直に答えると勝ちたくないのか?と問われる日々が続きました。
(正直に答えちゃう高校時代の自分愛おしい)
これはまだ顧問の目の前でご飯を食べるわけではないので、言われた量を食べなかったとしても逃げることができました。
ある時、夏に県外で合宿をしました。
その時の食堂でついに面と向かっての食べろ食べろ攻撃が始まったのです。
高校生の私は会食恐怖症の片鱗がだいぶチラついていて、当然みんなで食堂でご飯というだけで不安があったと記憶しています。
そんな中顧問は私にだけご飯を大盛りにしたのです。そして夕食が始まり、当然私は食べ切ることができず残そうとしました。
それを見た顧問がお前が食べ終わるまでみんなのご飯は終わらないからと言ってきました。
お腹がいっぱいなこともありますが、みんなを待たせてしまっているという申し訳なさや恥ずかしさなど精神的なダメージはかなり大きかったです。
この時もプレッシャーがかかると昔からご飯が食べれなくなると言いたかったのですが、言えませんでした。
(自分の弱みを曝け出すのって難しい...)
そんな中での食事は言うまでもありません。相当辛かったです。半べそをかきながら、すごい時間をかけてなんとか食べきり、その日は終了しました。
次の日、練習試合で私は思うように調子を出せずにいました。そうすると顧問は、ご飯を食べないから負けるんだろと相手チームにも聞こえるような大声で私のことを怒鳴りました。
決してさぼっているとか、意識が低いとかそういうわけではなく、食べられないという体質なのだからしょうがないじゃん!!と心の中では思っていましたが、言えるわけもなくまた辛い思いをしました。
極めつけに、その合宿の帰りには顧問のおごりでチキン南蛮を食べに行くこととなりました。そもそも私は当時チキン南蛮があまり好きではありませんでした。
お店へ向かう道中、また食べきれないと怒られるみんなの前で恥をかくという不安は募るばかりです。
当然ほとんど食べることができませんでした。
しかし顧問は見逃してくれません。みんなで一台のバスで移動していたのですが、食べ終わるまで帰れないと言われました。
なんのために俺が奢ったと思ってるんだ?というような嫌味も言われました。
普通の人からしたらお肉のたった数切れ、ほんの少しのキャベツの千切り、それが食べられないのは理解できないでしょう。
みんなを待たせている、嫌われるかもしれない、怒らせてしまうかもしれない、少しのご飯も食べられない変な人、と思われるのではないかと気が気じゃありませんでした。
でも先輩はとても優しかったです。怒るどころか、私がキャベツは食べるから、お肉は頑張って食べようなどと言い、手伝ってくれました。
そうして食べ切ることができたのですが、食べられないと怒られるという恐怖心や、奢ってもらっているのに美味しく食べられない申し訳なさなど、いろんな負の感情がまた私の中に残ってしまいました。
この出来事もまた会食恐怖症を悪化させるきっかけになったと思います。
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以上が私が会食恐怖症になってしまった主なきっかけです。上記以外にも細かいことをあげればまだまだあり、それらの積み重ねの結果が今というわけです。
簡単に言うとトラウマなのだと思います。
そして会食恐怖症は嫌な経験をするごとに酷くなっていきます。
不安がまた次の不安を生むのです。
残してはいけない不安から食べられなくなる、食べられないと心配させてしまう、心配されると心配させないように食べなければいけない、そう思うと余計食べられない
というように負のループにみるみるうちにハマってしまい、生活に影響を与えるまでになってしまうのです。
どの事象においても、誰が悪いわけではありません。会食恐怖症ではない人に、食べることへの恐怖を理解しろと言っても難しいのは当然です。
なので、仕方ないということは分かっていますし、当然恨んだりもしていないです。
もしこの記事を当事者以外の方にも読んでいた抱けているのであれば、こんな人もいるんだ〜と頭の隅にでも置いていただき、食事の際に周りと少し様子が違うな〜と思う人がいれば、何も言わずそっと見守っていただけますと幸いです。
今回はここまでとなります。
次回は、会食恐怖症となり具体的にはどういう症状が出てしまうのか、生活にどういう影響があるかなどを私の日常を踏まえながら綴っていきたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました!(っ'-')╮=͟͟͞͞ ⭐️